晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

「いっくら思いやったところで、それは相手の欲するところと絶対に一致しない」

ということです。
蹴ったら相手が痛いから蹴らない、物を取ったら相手が悲しいから取らない、なんてシンプルなケースで済むのはせいぜい幼稚園ぐらいでしょう。
思いやりを連呼する親に知らせたいのは、あくまでも思いやりというのは自己満足の想像の産物であって、こうすれば相手を傷つけないだろう、納得してもらえるだろうという勝手な期待に満ちた欺瞞に過ぎないという考察。
あたしは、特にあたしなんかは、物に執着がないから人に貸した物が破れたまま返されてもなんとも思いません。だから謝罪は無用です。返ってきて初めて貸したことを思い出すような人間です。
そんなあたしは、お醤油べったりの本を平気で返されても、平気で受け取ります。執着が自分を縛り付け自由を奪うってことを痛いほどわかっているから。他人に貸して汚されて許せないものなんかひとつもない。そもそもそんなものがもしあったら、「絶対綺麗なまま返してね」なんていいながら貸したりもしない。