晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

2006-10-25から1日間の記事一覧

名門幼稚園に合格した友人Y

「そんなとこ入れたら、おつきあいが大変そうだわ。やめたほうがいいわよ」 「ぬるま湯で生活力がない男の子になりそう。こっちの幼稚園のほうがいいと思うわ」 などと散々言われたそうだ。 大きなお世話。 善意の忠告に見せかけた嫉妬の渦。羨ましいことを…

でも人間にゃ変わりないのよ。

だからデザインが違うからといって、ファンクションが違うからといって、いちいち驚いていたらキリがない。差別してたらキリがない。嫉妬してたらキリがない。自分達がまとも・フツーだと思い上がるからこんなこと*1になるわけで、自分がまともだと思ってい…

大人用に言うとしたらこんな感じ。

たとえ顔に口が二つ*1あろうが、口というファンクションは同じだ。デザインが違うとファンクションが変わることがある*2し、デザインが同じでもファンクションが違うこと*3もしょっちゅうある。 *1:おそらく双子の妊娠で片方が癒着 *2:口蓋裂の乳児は通常の…

子供用に言うとしたら、

「クルマがたくさん走ってるでしょう?色も違うし大きさも違うし。速いクルマもいれば遅い小さなクルマもいる。トラックなんか大きすぎてその辺の駐車場には停められないわよね。でもあたしのクルマはトラックみたいにたくさん荷物積むことはできないでしょ…

三国人も部落出身も手も足もなくても人間は人間だ。

名前をつけるクセは日本人特有の文化なのだろうか。 あたしは愚息に、とにかく「デザインが違ってもファンクションが違ってもコンセプトは同じ」と口酸っぱく叩き込んでいる。

でもそれですら、本末転倒どころか完全な間違いなんですよ。

そのセリフそのものが差別意識の表明だから。 子が「あの人かわいそうだねえ」と言った時、「あのね、手のない人を見てもかわいそうと言ってはいけません」と言う親がもしいたとしたら、その親ははっきりとその人をかわいそうだと思っている。そこにはもう差…

なぜなら、それを知ったところで

政治家でも政治運動家でもないあたしが、被差別被害に賠償することなどできない。せいぜい、「三国人と聞いても差別してはいけない」「部落出身と言われても動じてはいけない」と言うぐらいしか。

第一、

今の今まであたしが部落という単語に全く関わらないで生きてきている事実を考えると、不要な知識。三国人なんて三国志ぐらいしか連想できない。それが差別用語だとして「周囲の誰かが」反発したことを知るに至り、結局あたしは「三国人」という言葉が差別だ…

嗚呼そういえばうちの母親に

「部落って何?」 と聞いたとき、彼女は最高に馬鹿*1だった。 「あのへんとあのへんとあのへんがそうよ」 まさに差別意識を育てんとするこの答え!「部落ってどこ?」などと聞いてもいないのに! 「そういう単語が昔はあったんだけど、今は遣わないわね」と…

三国人も部落も、差別を目的に作られた日本語だよね。

違う?そうだよね? もし誰もそんな単語を知らないで生きていけば、差別なんか病原体のように撲滅できると思うんだけど、どうだろうか。被差別者が許さないのか、やはり。ということはまだ差別は健在だということになる。

追記。

http://d.hatena.ne.jp/eio/20061021 の続き。 石原都知事が「三国人」と言って非難轟々というのがあった。 あたくしは三国人という単語を生まれて初めてその時聞いたから、なぜそれが非難を呼ぶのかがまずわからなかった。 だからもし誰も、あたしのように…