晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

「いじめがあったのかなかったのか」

なんて、皆どうしてそういうソフトな物の言い回しが好きなのかなといつも思う。「誰が彼女をどのように虐めていたのか」「嫌がらせをやめなかったのは誰か」でいいはず。強要罪とか侮辱罪とか、実際には名前があるのに。
前も書いたことあるような気がするんだけど、名詞化して主語と目的語ぼかして内容をパッケージ化して、「それはいじめなのかいじめではないのか」なんて定義から入るのって間違ってる。絶対おかしい。
いくらでも具体的に表現できることをイジメの一言でくくって、でも結局何がどこからどうするのが「いじめ」なのか、誰もきっと正確に考えてない。なんとかムリヤリわかりやすく一言であらわすとすると、本人が嫌がることを継続してやり、本人が泣くのを見て喜ぶのがイジメ。