晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

この本を読んだら、「芸術家とは一般大衆に媚びないで創作活動をする人のことである」ということがわかった!

アーティスト症候群---アートと職人、クリエイターと芸能人 (河出文庫)

ずばりそう書いてあったわけではなくて、「ヘア・デザイナー」「ヘア・アーティスト」という単語を並べて見たとき、その違いから色々想像しているうちにはっきりと区別できた。

 

「ヘア・デザイナーです」と名乗る人にならカットお願いしようかなと思っても、「ヘア・アーティストです」と名乗る人がいたらそーっと逃げ出すと思う。

本人の要望、印象、頭の形、ファッション、を総合的になんとなく判断して、まあこんな感じでいいんじゃない?喜んでほしいしまた来てほしいし、と双方にとって無難にあしらってくれるのが「ヘア・デザイナー」なら、自身の創造性を探求して、可能性を追求して、あたしの頭を前衛的な芸術作品に高めるための素材として扱うのが「ヘア・アーティスト」だ。実際が彼らがどう仕事をするのかとは関係なく、その単語にからまるイメージから連想する限り、まったく違う職種だと思う。

もちろんあたしは居心地一番で合理性万歳な、芸術とは対極にある一般大衆だから、そんなアートにされた頭を全身ZARAの胴体に載せて街を歩き回ろうなんてまったく思わない。だから逃げる。

 

 

同じことが他の分野の芸術家と職人にも言えるんじゃないだろうか。

職人技を期待して注文したら、自分の要望とはかけはなれた匠の技が出来上がってきたとき、ほうと喜ぶのが目利き、「いやこれもう全然使えなくない?!芸術品ならわかるけど?!」と怒るのが一般大衆。

と考えていくと、優れた芸術作品というのは「自分の創作意欲を最優先して大衆の要望をあっさり置いてけぼりにしても評価と対価がついてくる作品」だと言っていいと思う。受注はしない。大衆には媚びない。その対極で需要を計算していれば、商業デザインの域を出ずにアートを名乗って(ラッセンのように)成功もする。でも所詮芸術ではない。

あたしの記念すべき陶芸作品第一号「秋の日溜りもしくは無題」は、創作意欲次第、媚びないという二点においては完璧な芸術だが、評価も対価も全然ついてこないwだから顧問の落書きと同じだ。おお矛盾しない!

そして会田誠は結局はモチーフがアレなわけで、大衆の要望を置き去りにするどころか実に丁寧に拾ってる。だから対価はついてくる。なのに子供には見せられない。うーん。

 

 

あとこの本、芸能人アーティスト(矢代亜紀、工藤静香、藤井フミヤ石井竜也とか)をさらっと真っ二つに斬っていて、「どうしてこれがアートなのかわからないのはあたしがド素人だからじゃなくて、何?」的な隔靴掻痒感が綺麗に消えた。ありがたい。ナンシー関が読んだら喜んだだろうに。だいたい工藤静香って「肌色ベタ塗りに黒の一本線」で顔の輪郭描いて二科展入選してたのよ?芸術なら媚びないとしても、あんまりだよね。