晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

信心不足のくせに他人を折伏しにかかる厚顔無恥なバカが怖い。

コロナ怖いって人が怖くて怖くてもう。

コロナ怖いって人はゼッタイにマスクしてるわけですよ。ぺらぺらの紙マスクを。

 

宗教って、科学的に証明されてないけどそれを信じると不安が取り除かれたり幸せになったりする話を信じること、だと思うんだけど。

その辺の紙マスクをですよ?

ガムテープで顔に貼り付けたとしてもですよ?

N95みたいに静電気載っけたとしてもですよ?

0.1マイクロメートルの粒がなんでその「ぺらぺらのマスクを通過しない」と信じられるのかわからんが、それを信じるのが宗教の宗教たる由縁だから好きなだけ信じたらよいと思う。

で。

たとえ「マスクを通過しない」という奇跡が起きたところで、この世はあらゆるリスクで満ちていて、外をうろつくマスク教の信者を眺めているとそれらの対策をしないでよいのかという疑問が湧いて止まらない。そして結局マスクは宗教であるという確信を深める。

 

ウイルスなんかマスク1枚でどうにかなるサイズではないというのがあたしの結論だが、もうスタートの記憶がないぐらい大昔から接触性感染には神経質だ。

電車のつり革やエレベータのハンドベルトなんかはまず掴まないし、転倒のリスクの方が高いと判断して止むを得ずとっさに掴んだらあとで手を洗うまで掴んだことを忘れないし顔を触ったりもしない。だからって他人にいや家族にでさえ「つり革は汚いから掴むのをやめなさい」なんて言わない。

更に言うなら公衆トイレは一切使わないし、手入れの行き届いたデパートや会社の特定少数の清潔なトイレでもあたしは一切のものを「直接」触らない。シートには必ずトイレットペーパーを置くし、ドアの開閉もロックもティッシュか何かを挟む。自分がそうしたいからしてるだけのこと。布教は一切しない。当たり前だ。

 

 

ところがマスク教の信者はそうじゃないんだよ。

隙間だらけのぺらッぺらの紙マスクをつけて、8/12 12:30に新宿高島屋のエレベータに乗ってきて「マスクつけてくださーい」と赤の他人であるあたくしに突然「依頼」することに何の違和感もない。

その信者は12階のレストランフロアで降りていったんだが、飲食店という閉鎖空間でみんながマスクなしどころか口開けてるところで自分たちがマスク外すことにもまったく違和感がないわけだ。

マスク信者の傲慢な振る舞いは怖い。ほんと怖い。

 

おたくらマスク信者がマスクの効果効能を信じることを邪魔するつもりは微塵もないので、ウイルス対策など無意味であるとあたしが信じることを邪魔しないでくれ。

 

マスクの効果効能を信じるのであれば自分が着用していればそれだけで十分だろうに???

なるほど、、てことは、あいつらマスクの効果効能を100%信じてないから他人にもつけさせたくなるんだろうな。ドあつかましい。

今度信者が折伏してきたら中国語で喋ったるわ。

「そんな隙間だらけのマスクで喋ってて大丈夫ですか??」