晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

「過去になれば何でも良かったことになる」わけがない。

10歳だったころの昔の自分の環境と、80歳になった今の自分の環境を、同じ「自分」だからっていうものさしで一概に計れるはずがない。ある歳の感性を、時代を変えて体験することは現実不可能なわけだから、絶対的・定量的に「良い」かどうかなんて検証できるはずがない。
もしある80歳の人が、「10歳の頃の記憶には良い記憶しかない、古き良きニッポンが懐かしい」なんて呟いたらそれは「凶悪犯罪や衝撃的な事件についての史実」を知らなかっただけかもしれない。地下鉄もエレベータもセンター試験もテレビも新聞もなかった、10歳の頃の記憶。強盗も殺人も放火もよく知らなかった、10歳の頃の記憶。
無知は幸福の一種。追求していくと結局、石器振り回してナウマン象を倒してた人間だって「昔はよかった」なんて言っていいことになる。