「アタシって綺麗好きだからぁ」の「綺麗好き」には、2通りある。
- (汚くて散らかった状態を)綺麗(にすることが)好き
前者の場合家の中を散らかし放題にする男子はすなわち敵、後者の場合彼らはすなわち神。
あたしはずっと前者だから、うちの男子はあたしの快適な環境に水を差しまくる敵だったわけで、そりゃ心中お察しいたします的生活を続けてきた
んだけど。
何年か前から、ごくごく徐ろにだけど、いかに汚くていかに散らかった状態を目の当たりにしようとも、「これはあたしには関係ない」「関係ないからあたしは何もしてはいけない」と念仏を唱えるようにした。するとあーら不思議、家の中に敵がいなくなった。
これはまさに、アドラーの言う他者の課題と自分の課題を分離することに成功した状態。とりいそぎ自分の課題を、共通処理系の環境定数を書き換えることによって解決させた(=物は考えよう。
他者の課題は今も昔もそのまんまだけど、それは私の課題ではないので、干渉してはいけない。もちろん協力は惜しまないつもりだが特段要請もされないから、大変居心地がよい自分の環境の中で待機してる(=口も手も出さない。
実に素晴らしい。最初からアドラーの理屈で知ってたらよかったのに。自然獲得だから随分と時間がかかったよ。本当に本当に、長い年月を無駄にした。もったいない。
前に友人Kが貸してくれた「嫌われる勇気」というのを読んだとき、半分は既に知ってたけど残り半分は斬新でスゲー面白かった。アドラー心理学の「本」って読んだことなかったから、半分知ってるということは年の功だな。子供のころに読みたかったよ。
夕食が終わって。
食器てんこもりのテーブルとキッチン、横になってテレビを見ながら大笑いしている旦那、横でゲームに集中してる子供達。誰も手伝ってくれないし、誰もありがとうなんて言ってくれない。
こういうときの悲しい虚しい専業主婦は、アドラー的には「自分はこのコミュニティに貢献している」と考えるとよいらしい。なるほどね。
でもさー、「家族が自分の全てだから*1」な人はそれでちょうどいいんだろうけどさ。
貢献すればするほどありがたがられて、似たような知識の幅で快適に喋れる人間がたくさんいて、しかもおカネをじゃんじゃんくれて、なんて楽しいコミュニティに「も」属してるあたしみたいに人間には、こういう家庭での貢献度ってのはかなり薄味になるよな。
あたしは料理も後片付けも超絶速いけど、そもそも家族にありがとうって言われたいとか言ってほしいとか、何でもいいから家族に貢献したいとか、そんな殊勝な発想したことないねw
「いったん取り掛かった物事が最短時間で合理的に達成されること」が単純に好きだから非常に手早くやっているわけであって、実際片付け終わった瞬間自分のこのスキルの素晴らしさに若干感動すら覚えているときにもし誰かが「いつもありがと!」なんて言ったところで、それがこの達成感に勝つだろう気はしない。嫌な気もしないけどね。
主婦がおおかたそうであるように、家事においては私は家族の誰よりも上手く速く片付けるし、上手く速く片付けることが至上命題だと自分が信じて疑わない以上、あたしより下手な誰かが手伝ってくれたり代わってくれたりすることは全然ありがたくない。
さらに言うと、人が仕事してて、自分が仕事してない状態はまったく落ち着かない*2から、やってくれるんだったらあたしがいないときにやってほしいな(やってくれないけどw。
でもこの感覚は、それそのものが自分を充実させる=他者を必要としない、という意味では、間違いなく「貢献する」「感謝される」よりも数段純粋で強力な報酬系だと思うわ。ムチがなくても勝手に疾走する競走馬みたいだな。
あとねー、マズローの五段階欲求の最も有名なステップであるところの「承認欲求」を完全に否定する、その理由は云々*3の件りを読んだときは、もう面白すぎて爆笑しちゃったよwwホントそうだよねwww宗教とかまるでそうじゃんね。学問はそれでいいと思うけど。
てことは、1人だけで宗教やってる人がいたらその人は本物だね。
普段ブチブチ文句*4言ってるわりには、特別ものすごい悩みはなくて、やたら平和だ。ヤバイおれもうすぐ死ぬかもしんないww