晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

出会い

「今日はモトが取れたか否か」

Facebookシェリル・サンドバーグさんは「毎晩寝る前に3つのうれしかった時を書き出すということ」と言ったそうですが。

 

どうやら自分の場合、嬉しかったことなんて1つかせいぜい2つぐらいしか思いつかない日のことが多いとわかった。

しかし神経質で鬱病気質の人間は、「寝る前に3つね」と言われたら、何がなんでも3つ思いつかないと落ち着かない。

 

鬱病の人にがんばれと言うな」というのは実は説明が全然足りてなくて、どんな”命令”であっても命令には違いないんだよね。

「疲れたら休んでいいんだよ」なんて言われようものなら、「そうよあたしは休まなきゃ…休まなきゃ…ああ全然思ったように休めない!!!」になるし、「好きにしてていいよ」というのもまた「好き?…好きって何だっけ??…ああわからない!何か好きなことしなくちゃ!!」になる。

だから疲弊したときは、ものすごい単純作業が最適だと思う。例えば水槽の換水とか、数独とか、延々アブラムシ取るとか、種蒔いて水遣るとか、無心になれてある程度の尺を取るものが無難。

 

さて、そんなわけでこのCOOの真似はどうもうまくいかない。しかたがないから「今日はモトが取れたか?」の諾否だけで妥協することにした。

この場合の「モト」というのを、例えば委員長が買い物に走ってくれたとか、顧問がマッサージしてくれたとか、そういう「何か楽ができた」系のことにすれば、大抵その答えは”諾”になるw

 

それでもたまたま、仕事で脳みそを使いすぎてどうにも何も思いつきそうになかったとき、「やばい何もない」と超焦って(焦る必要もないけど焦ってしまうのが特徴的だ)、結局その日は何に落ち着いたかというと「今日スキップしたせいで楽ができたこと」。

それは特に洗濯だ!あたしは洗濯はちゃんとやるけど大嫌いだ!!洗濯なら食事と違って数日先延ばしにしても別に死なない。

 

「その必要性がまったくないかとても低い条件を自分に課して、その達成率の低さに自己嫌悪する」というのは非常にありがちで、傍観者は率直に「だったらやめたらいいのに」と思うんだけど、そういう習慣をインストールされちゃってるからどうしようもない。

その条件のせいでうまく動けないんだけど、その条件がないと全く動けないんだよね。この自己分析はかなり的確だと評価してるんだけど、そんな分析癖も特徴的なんだろうね。まあいかに正確に分析したところで何かを変える気はないんだがww