晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

出会い

宮本エリアナと乙武洋匡の対談を読んでて、どうにも違和感しか出てこなかった。

日本はダメだよねーここがダメだからこうしていかないとね!という問題提起が主題。

http://www.news-postseven.com/archives/20150703_333627.html

 

乙武: 僕は、「どういう人を日本人とするか」という定義を狭めれば狭めるほど、日本は貧弱になっていくと思うんです。逆に、この人も日本人だよね、この人も日本人でOKだよねというふうに、その範囲を広くできる国ほど、多様な価値観がその国の血となり、肉となっていく。つまり、その国が豊かになっていく。そういう意味で、今回エリアナさんが日本代表に選ばれたことで世に問いかけてくれたことって、すごく意味があると思うんです。

国民の三大義務を果たせば日本人、ではない。「おおかたの日本人が恥と思ってしないこと」を日本人同様に恥とし、それをしないで生活する人が日本人でしょう。その恥の感覚の差つまり価値観の相違を無視して、「多様な価値観は国を豊かにする」などと簡単に断じてはいけない。「”日本にもなじんでいく”多様な価値観」と訂正してほしい。ただ何でもかんでも変えようってんなら国体が崩壊する。移民大国を見ろっての。公用語すら崩壊の危機だよ。

 

もちろん誰かを傷つける意図はまったくなかったし、LGBTの人がいなければ何の問題もない言葉だったのかもしれません。でも、その人がいるとわかっていて、わざわざ「女の子」という言葉を使う必要があったのか。もう少し配慮があれば、ほかの言い方があったんじゃないかと、すごくショックを受けたんです。

LGBTの人々って、女の子や男性などとうっかり従来通りグルーピングしてしまう人々がいるということの多様性は認めてくれるの?そのへん実際どうなの?認めてくれたら嬉しいんだけど。

 

乙武: 一般的にはほめ言葉とされている「背が高い」という言葉だって、子供の頃から背が高いとからかわれてきた人にとっては傷つく言葉かもしれない。本来コミュニケーションってそういう一対一の関係で、この人にはこう言っていいのか、どうなんだろうって思いやることが大切だと思うんですよね。

あのねえ、すごく背が高い人が同じ身長の人に”親しみを感じて”きみ背が高いねと言うのはどうなんですか?人が他人を思いやるっていうのは大変な高等技術なんですよ。単純化しないでほしい。

お尻が大きい女性がセクシーだと言われていて、お尻を大きくするサプリを売ってるぐらいのミクロネシア文化圏では、「お尻が大きい」は褒め言葉だよね?でも日本は違うよね?そう思うのが大抵の日本人だよね?

日本人の感覚では一般的にソレが褒め言葉なんだと認識してるんなら、そのまんま褒め言葉でいいじゃん。まったく面倒で窮屈なんだよね日本は多様性が云々言う人の多様性って。

 

 

とにかく、買い物でつかみ合いだの無保険の中古車だの、「日本で日本人が普通やんないこと」をやっても別に何とも思わないという多様性のある人が増えるのは嫌です。迷惑だから。

「外国人の多くは日本のゴミ分別の細かさについていけません。少しでも間違っていると収集されず、町内の組長さんが『また外人さんか!』と注意して大事になりがちです。彼らにとって清掃やゴミ収集は専業者(スイーパー)がするもので、自分とは関係ない仕事という認識があるため、掃除当番など町内の決まりを無視することも多い」

ここは日本であって、日本にはスードラとかいないのよ?わかる?ここはどこ?私は誰?弁えろよ。

でもきっと、これで「これだからガイジンはヤダなー」とか言うとレイシスト扱いされるんでしょ?だから「あー多様性ってほんと面倒でイヤですこと」と言うことにする。