晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

やればできることが証明されてもまだ、やりたくないという怠惰な思いは消えてなくならない。

自主性を尊重する、というのはつまり体のいい教育放棄だー。

 

大臣が帰宅すると顧問はすぐさんすうの勉強を始めるから、ちょうどあたしも手が空く。委員長の部屋にPC持ち込んで、わからなければ質問するようにと言って待機しながら仕事する。見るのは数学だけ。全部やってやりたいけどそれやったらあたしハゲる。

 

教科って、何でもそうなんだけど、「多分こうだと思う」で解き始める癖がある人間は、まずそれを今すぐやめなければならない。多分って何だよ多分って!!多分=完全に理解してない。迷ってるのに類推で回答出していいのは本番だけじゃ!

だから「たぶんー」と思った瞬間に戻る。演習から基礎解説に戻る。英文法もそう、古文漢文もそう。わかってればすぐに全部わかる。すぐにピンと来ないってことは基礎が怪しいってことだ。基礎できてないのに演習なんかやる意味ゼロ。時間の無駄、寝てた方がまし。

それに気付くには、それがよくないと理解するには、ある程度まとまった量の正答に迷わず辿り着く経験が必要。

 

という説教を3分で。あとは待機。

時々呼び出されて解いてる様子を見ると、基礎もわかってるし着眼点も正しいのに、アホみたいなケアレスミスを多発して混乱してるだけ、ってことがわかった。もっと基本的なことがわかってなかったらどうしようかと思ってたから若干安心したけど、それでも移項で符号が+から÷になったり(※)途中でxやyが消えたりするんだぜーー信じられないよ(TДT)

数をこなしていくとそのうち「やった!できた!」と言うようになったので嬉しく思います。課題というものは、それを解決したから何か報酬があるから解決しなければならないと思う姿勢と、解決したいから解決しようとするという姿勢とではウンドロの差がある。

それでも疲労してくると、こんなことやってて何の為になるんだーーーとか騒ぎだしてあったまに来る。往生際が悪いだのそれで一生逃げ切れると思ってるのかだの言っても、結局「やりたくない自分」というありのままの姿はどこに消えるわけでもなく。

 

SmartNews見るんだったらタブレット貸してあげてもいいよ

と言ったら、テクノロジーのタブとか結構ツボったみたいで喜んでました。彼の電話は没収中。Youtubeでゲームの実況ばっか見てるアホヅラあたしはもう見たくない。

 

 

 

※ +を+のまま移項するというミス、かつ次の行ではそれを÷と読み間違えるというミス。合計2発。字が汚いからじゃああああ!!