晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

他者と比較せずに評価することはできない。

A君が100点取ったのにどうしてあなたは50点なのっ?!なんて黴臭いことを言うつもりは毛頭ないが、いやでも構造的にはそれと同じことをちょっと嫌味ったらしく言ってみた。そしたら委員長は非常に敏感に反応して、比べるのやめてくれない?と来たもんです。

しかし彼自身も、ぎっちり箱につめたあのマンガ群をいつ返してくれるのか、という交渉材料で「Yは○○を全巻持ってるけど?」なんぞと言いだした。あたしは大喜びで、そうかそうやって他人と比べていいなら金切声で言わせてもらうが、同じだけ買ってやるから同じだけの成績を取ってこい、いや逆だ同じだけの成績を取ってきたらそっくり同じマンガを買ってやる、と怒鳴り返した。ふざけたことを言うな。

 

そもそも彼は、何のために勉強するのかが全然わかってない。想像力が欠如しているせいで何も見えない。見えないなら見えないで、盲目的に眼前の仕事を片づけていくしかない。見えてる方が楽しいに決まってるけど。

 

仕事っていうのは、養老先生によると、足元に開いてる穴をひょいと埋めることなんだそうだ。遠出して探したり、人が自分用の穴を掘ってくれたりするものではないらしい。となると畢竟勉強とは、自分にちょうどよい穴が、よいタイミングで「見えるようにする」ためのものだ。

不勉強が祟って穴が見えないうちの子はどうするの?「自分探しの旅」に出るのか?これは戦線離脱だ。パルプンテだ。いや別によその子なら「いいわねえ」で終わりなのよ?それで偶々どこかの僻地でニッチな穴を見つけなくもないが、そんな僥倖はあたしの目の黒いうちに訪れるのか??

 

あれこれ真剣に勉強すれば、好き嫌いがわかる。もっとやれば得手不得手がわかる。どれも真摯にやんなきゃ己の需要なんか見えてくるわけがないじゃないか!穴が1つしかないのに候補が2人いたらどうなるか?よりその穴にしっくり来る方が選ばれる。摩擦がなきゃ物理が崩壊するのと同様、比較がなかったら経済は崩壊する。

「生まれてきただけで完璧だ」で幕を開ける育児は、「国民の三大義務を果たしてくれてどうもありがとう」で終了するのよ。別にマンガだめとは言わないけど、義務をまず果たせ。