晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

出会い

書いた以上、読み手というものがある。

どんな汚いメモにも立派な著述にもそこには必ず、読み手がある。

自分があとで見るメモ、

不特定多数に見せたい駅ビルの落書き、

学会で発表する論文、

趣味仲間に公開してるブログ、

先生に見せる読書感想文、

色々。

それぞれにそれなりの読み手がいる。

 

ここは自分が後で読むために書いてる日記だから、好き勝手思う存分に書くことを心がけつつ、あらまほしき自制を効かせるために公開してある。だから個人名も当然伏せてあって、日付も場所も適当にずらしてあったりするけど、それでも当該人物には「あ~これアタシのことね」と当然わかるように書いてある。だからここの読み手は自分および関係者。

 

これが政治家や芸能人のブログなら、「みなさんおはようございまーす(・∀・)ノ」みたいに差しさわりのないご挨拶や綺麗事から始まって、自分の宣伝知り合いの宣伝、に終始するんだね。不特定多数の一般人が読者だから。

人気商売。営業活動の一環。イメージアップを図るための一ツールに、自分を落とすようなコトをわざわざ書くわけがない。それはよくわかる。

 

 

で。

一般個人の匿名ブログで。

たとえばここでさ。

アタシがだよ?例えばだよ?

「有信会の幹事Aと久々に飲んだ」とか「パリ駐在時代のBとランチ」とか、そんな解説を自分宛に書くか?って話なの。

そう書かなきゃわかんないの?んなわけないよね?

自分とその飲んだ相手が読むなら、そんなクドい痴呆老人みたいな説明いらないわけ。

「東大の同期とどこそこで食べて飲んですっごく楽しかった~」なんて自分宛に書くバカが東大なのかよって話。「大学の同期」でいいんだよそんなの。

 

だから個人名出してない一般人のブログにこういう「不要じみた形容節」があると、なるほどこいつは自分宛に書いてるわけじゃないんだな、とわかる。その形容節以外の大多数、に見せるための文章。

 

でも何が胡散臭いってこの×××ってのが必ず、響きのいい単語だってこと。虐待だの生活保護だの母子家庭だのデブだのブスだの貧乏だのいじめっ子だの、とにかく世間一般ウケの悪そうな単語は出てこない。

「今月の母子家庭手当が出たので、DV離婚つながりのAちゃんとデパ地下の試食巡りに行く電車代にしました~ヾ(。∀゚)ノ」なんてのを見たことがあったらぜひ教えてほしいもんだね。

 

「×××つながりのお友達と遊んできました~」てのはつまり、「×××でつながってない人宛」に発信してる。当事者以外にそれを知らしめるための表現。

ほら見て?いろんなところに顔を出してるワタシを見て。素敵でしょう?潤沢なのはおカネだけじゃないのよ。人脈もなの。だから意外な頂き物も多いの。でもあなたには何のことかさっぱりわかんないでしょう?だからつい×××つながり、なんて丁寧に説明してあげちゃうのよね。

 

 

 では彼女らはなぜ、ついうっかりその響きのいい単語を選んで、自分を説明してしまうのか。

そりゃあもちろん、自分をよく見せたいから。

一般個人の匿名ブログであっても、盛りたいから。

自分が小汚く見えることは書きたくないから。

自分の×××つながりを知らない人に自分の交友関係の幅広さを示威したいから。

自分はね、顔が広いんだってことを言いたいの。人脈地脈を力いっぱい誇示しなくっちゃ。自分は、あなたの思うよりももっと大きい、スゴイ存在なの。ね?高卒だからって馬鹿にしないでね?だって自分は、そうやって盛りまくらないと、虐待だの生活保護だの母子手当て目当てだのデブだのブスだの貧乏だのいじめっ子だのとほとんど差がない人間てことがばれちゃうから、

という、深層心理がそこで働く。防衛的に。

 

 

×××は例えばハワイ。これを指摘したのは、友人Y。「イチイチハワイハワイうざい」と言う。

彼女らは多分、ハワイつながりみたいな、今カネを出して得られる行動半径以外に示威すべき人脈がないから、ハワイハワイと連呼せずにはいられないんだろうなと思う。

まあ、親や親戚は選べないし、大学の同期もカネじゃ買えないし、そういうのは単に本人の能力や資質とは関係ないお育ちの問題かもしれないから、それは非常にお気の毒に思うけれども。でも例えば愛人が大嫌いなあの芸能人、お育ちがまったく同類。到底自慢にならないことを目いっぱい盛って並べ立てるとことか、スゲーよく似てるよ。文化資本が完全に同レベル。